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松崎 正尚
松崎 正尚

2011年05月28日

東北震災ボランティア (2/3)

~前回のつづき

豊橋をPM8:30に出発して20時間、ほとんど寝る間もなく、PM5:00から始まる出し会場へ向かう。
小学校やセンターなどの被災所ではなく、海岸線から少し離れ、やや高台にあるSさん宅前で最初の炊き出しを行うことになった。Sさん宅の1F部分には海水が入り込んだものの、ギリギリのところで流されずに済んだそうです。

その証拠にSさん宅の庭から海岸方向を撮影したのが、コレです。
Sさん宅より1㍍、2㍍低い所にあった建物はご覧の通りです。
 
どうですか?豊橋のみなさん。考え方、変わりませんか?
あと1㍍というところで命の有無がかかってきます。

現在、住宅を失った他の4家族の方々と共同生活をしていました。

食事の準備と並行して、持ち込んだ支援物資の配布をしたり、僕は野球をやっているSさんのお子さんと一緒に素振りの練習をしました。教えたスイング、ちゃんと守ってくれてるかな?

あさりのバター蒸し、シジミのみそ汁、手羽先、ウズラの卵、キャベツサラダ・漬物など、豊橋が誇る食材でのもてなしに、現地のみなさんはとても喜んで下さいました。
特にあさりは「こんなに大きくておいしいあさりは今までに食べたことがないです。」っておっしゃってました。

そしてこの日の宿泊地は山田町役場に隣接する松江寺というお寺を使わせていただくことに。
初日からかなり疲れを溜め込んだせいか、みなさんPM9:00過ぎには床に就くのでありました。
翌朝AM4:00起床。
この日の会場は朝:大沢ふるさとセンター、夕方:山田南小学校。
今日も元気にと思いきや、朝日に照らされ眼下に広がるのは、寺の直前まで津波に侵され、あまりにも痛々しい山田の街の現実だった。しかもこの街は激しい火災にも遭ったらしく、残っているコンクリート建築物や鉄骨の焦げ具合から、空襲にでもあったかのような凄まじさを感じたのであります。






駅は荒れ果て、銀行も、あらゆる商店もすべてが壊滅状態。

感傷にしたりながらもふるさとセンターへ向かう。
そこは街全体を見下ろす高台にあり、震災前はどれほど美しく素敵な街であったことか、一見して想像がつく。

きっとまたここに来よう。
5年後、10年後。
またこの丘に登り、その時少しずつ復興しているであろう山田町の姿を見て、ボランティアに参加できたことを懐かしく、嬉しく思い出したい。・・・そう思った3日目の朝でした。

                                つづく。







         


Posted by 松崎 正尚 at 15:37Comments(1)防災・防犯 

2011年05月19日

東北震災ボランティア (1/3)

ご無沙汰してしまいました。
4月28日、夜8時30分に豊橋出発。
ボランティア目的地は岩手県山田町。

当選証書をいただいてから2日後、選挙でお世話になった自民党の根本幸典氏と「栄校区オヤジの会」のみなさんを中心としたグループに、無理を言って仲間に入れていただきました。
ご一緒していただいた弥生病院の渡辺先生の記事が、東日新聞に連載されてますので、どうぞご覧下さい。

「なんでもやります。」と言ったものの
2ton トラックでの15時間に及ぶ長旅はキツかったあ。お尻が痛いのと、休憩しても横になれない。

写真は翌29日の朝8時頃、
仙台を過ぎて間もないパーキングエリア。ここまでほとんど寝ていません。?寝られませんでした。

おはよう!って言ってるつもりです。


ただこの数時間後に、冗談を言ってられない光景を目の当たりにするのです。
テレビ等の映像で想像はしてたが、そこに立つとこんなにも残酷なものか・・。と

今、自分が生きていること、家族・友人がそばにいること。・・・いちばん しあわせな事。


さっきまであった当たり前の暮らしが一瞬にして消えたそうです。
ある男性が「すぐそこに家があったんですよ。・・息子が流されちゃいました」と・・・

耐えられない!考えたくもない!   ですよね?

簡単に「頑張ってください」と言えないもどかしさ
「頑張ってください」としか言えない自分の無力さを噛みしめながら

チーム根本 最初の炊き出しの準備に取り掛かるのでありました。    つづく
  


Posted by 松崎 正尚 at 18:52Comments(0)防災・防犯