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プロフィール
松崎 正尚
松崎 正尚

2016年03月11日

東日本大震災から5年。

5年前、初めての選挙の当選直後、

現衆議院議員の根本幸典氏らと訪れた

震災現場(岩手県山田町)。

目の当たりにした景色はすさまじく、

一瞬のうちにすべてを変えてしまう自然の力に

ただ呆然とするしかなかった。


現地では、豊橋から多くの方々に

提供していただいた食品を振る舞った。

「こんなに大きくておいしいあさりは食べたことがないです。」

そう言ってくれた。



山田町役場に隣接する松江寺で宿泊。

朝日に照らされ眼下に広がるのは、

高台にある寺の直前まで津波に侵され、

あまりにも痛々しい山田町の風景だった。






みなさんどうされているのかな?

この景色はどう変わっているのかな?


また訪れたい・・・と

今日また強く思った。

  


Posted by 松崎 正尚 at 16:43Comments(0)防災・防犯 

2016年01月19日

薬物乱用防止教室

所属している豊橋東ライオンズクラブは

毎年、豊橋市内の小学校6年生を対象に

薬物乱用防止教室を開催しています。


今日はなんと松崎先生が

豊橋市立豊南小学校を訪れました。


まずはライオンズクラブについて説明。

「埼玉西武ライオンズは関係ないよ。」に微妙なウケ。

しまった~、やめときゃよかった。

SMAPのライオンキングをひっかけとけば・・・?

いや小6はSMAPもよく知らないか?


本題!

豊橋の最南端でのびのび暮らす33名の6年生児童は

とても元気よく、明るく、礼儀正しく、

講義も真剣に聞いてくれました。


乱用・中毒についての説明も僕なりの方法で伝えました。

なぜ子供はお酒・たばこがダメなのか・・・

「スマホの使い過ぎで親に叱られたことのある子?」

かなり多かった。

「自分自身で気を付けないと・・・中毒の始まりだよ。」

「やべぇ、おれ中毒なりかけ~」

と神妙な顔をしてました。



わんぱくでもいい・・・たくましく育ってほしい。
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Posted by 松崎 正尚 at 14:44Comments(0)防災・防犯 視察・勉強会

2013年04月25日

平成25年度第八方面隊結隊式。

4月21日、豊橋市立北部中学校。


平成25年度豊橋消防団 第八方面隊結隊式が行われました。




前日の雨の影響でグランド状態が芳しくなく、体育館の中での式となりました。





豊橋市内にある八つの方面隊の中で最も少ない4分団、団員88名。


しかし、このまとまりはどの地域の方面隊にも負けないでしょう。




今年度指揮を執る榊原方面隊長。


僕が下地分団員だった頃のひとつ上の分団長でした。




結隊式が終わると次は放水競技大会。


昨年、一昨年と2年連続チャンピオン!(まるで汚れた英雄のオープニングだ。)


第八方面隊(大村分団)。


今年も防火・防災、そしてご自身の健康に気をつけて頑張って下さい。
  


Posted by 松崎 正尚 at 17:16Comments(0)防災・防犯 

2013年01月10日

大村知事、大村町入り。ウソみたいな本当の話。

消防団の年末夜警。






昨年も


12月26日から4日間、


豊橋市内全域で


行われました。








第2日目に「えっ、マジで?」と言いたくなるような噂が地元で流れ始めた。


「大村知事が大村分団へ激励に来るらしいぞ。」





・・・・・ホントに来てしまった。







到着を待つ大村分団と関係者。







まずは佐原光一豊橋市長の激励。







そして知事が到着。第一声「本当に来てしまいましたぁ!」


(スミマセン、逆光で誰だかわかりませんね。)







これまたブレブレでした。




2年前、『大村知事、大村分団激励』というタイトルでブログにアップしました。


大村知事が誕生してから2度消防の県大会が行われ、


豊橋市からは連続して大村分団が出場しました。


その繋がりはわかります。


でも本当に豊橋まで来られるとは・・・。


・・・・で大村知事、その時に渡されたお気に入りの『大村分団タオル』


(上の写真、左手のオレンジ色のタオル)を片手に


大村町まで激励に来られました。




近くの集会場へ移動し、校区自治会長のご発声でプチ歓迎会が行われました。




知事「地元の市議会議員さんは?」


松崎「わたしです。よろしくお願いします。」


な~んてかしこまっちゃったりして・・・。



遠路はるばる激励に来ていただき、ありがとうございました。


団員や関係者にとって嬉しいサプライズでしたし、


地元の防火・防災活動はもちろん、


3年連続県大会出場へ向けて大きな励みになったと思います。
  


Posted by 松崎 正尚 at 12:43Comments(0)防災・防犯 

2012年06月23日

お詫びとご説明。

先日


『手筒花火、南三陸へ』と題し


掲載させていただきましたが


この件で、数件お問い合わせや


ご要望をいただきましたので


お詫びとご説明をさせて


いただきます。


内容としては・・・



・どこが主宰したのか?・どこの手筒を持って行ったのか?


・継続されるのか?現地で手筒花火の奉納をする予定か?


・このようなイベントは、早く知りたかった。


などであります。


まず今回、同じ会派で特に親しくさせてもらっている山本賢太郎クンが、議員活動としてではなく


数名の有志で南三陸町まで義援金をお届けに行こう!ということでした。(もちろん自腹で・・)


有楽製菓さんの協力もいただき、たくさんの『ブラック・サンダー』の箱詰めと


これはもちろん相手方の受け入れ態勢を確認した上でありますが、手筒花火を3本。



地元の幸花会の方に相談し、下地の赤心社に連絡。


4月の祭礼で奉納されたばかりの手筒を持って行こう


ということになりました。


僕も微力ながら協力(台の提供)をさせていただきました。




手筒花火と言えば、歴史上においても豊橋を代表する大切な文化であります。


今後、東北の空に手筒の炎が舞い上がるとなれば、市民多くのご賛同やご支援が必要となります。


その際は、然るべき順序を踏んだ上で、市をはじめとした然るべき団体等の主宰において


みなさんのご理解をいただければと思います。


今回、関係者方々に少なからずともご心配をお掛けし、申し訳ありませんでした。



しかしながら、賢太郎クン、ご苦労さまでした。




『豊橋の手筒』が現地の安心・安全


そして復興に役立ち


いずれは地域間交流のシンボルに


なってくれたら・・・と祈ります。










  


Posted by 松崎 正尚 at 12:43Comments(0)防災・防犯 

2012年06月20日

手筒花火、南三陸町へ!

昨日の台風4号、みなさんの地域はいかがでしたか?大きな被害は出なかったでしょうか?


昨年は大きな台風がふたつも直撃し、異常気象が当たり前のような時代になってしまいました。





昨年3月の東日本大震災、津波による大きな被害を受けた宮城県本吉郡南三陸町。




ここにウチの父作成の手筒立てが寄贈されました。





コトのはじまりは、隣の席の山本賢太郎クン(議員)が復興支援ボランティアで南三陸へ向かうことに。


南三陸町役場をはじめ3カ所に、手筒花火が置かれることになりました。




手筒花火説明書きのプレート、そして手筒本体共に南三陸町の今後の復興を見守ります。


今回は同行できませんでしたが、少しでも東北のみなさんのお役に立てたのなら


きっと父も喜びます。
  


Posted by 松崎 正尚 at 15:51Comments(2)防災・防犯 

2012年04月20日

地震・津波に対する報道。

東日本大震災から1年、最近首都圏直下型地震の報道や、この地域での三連動地震発生時の


太平洋岸への津波に関するニュースが目に飛び込んでくる機会が増えました。




まず我がまち『とよはし』の大半の地域に、震度7の巨大な揺れの発生が想定されます。





6メートルと推定されていた田原・豊橋周辺の津波高は、最新の発表ではなんと20メートル。




これはもちろん通称『表浜』側の数値ではありますが。




我々市民にとってもっとも気になるのは、ウチ海、つまり三河湾からの津波高。


僕が気になって止まないのは、市内を流れる河川への遡上による津波被害であります。


三河湾への津波は湾内に押し寄せ、行き場を失った津波は河川に集中して威力を増し


想定される高さよりも大きな被害をもたらすのではないかと心配しています。


1年前に訪れた陸前高田市は、平野部はもちろん河川を5キロ以上も遡上し


河川に沿っておおきな被害を与えています。




そのような観点からも、今後の津波に対する一時避難場所の指定を徹底していく必要があります。


しっかり勉強していきます。


珍しく今回は真面目に終わります。・・・また明日。

  


Posted by 松崎 正尚 at 12:00Comments(0)防災・防犯 

2012年03月11日

本日2時46分、黙祷。

あれから1年。

今日は忘れもしない3月11日。

2時46分、犠牲になられた方々に対し、あらためてご冥福をお祈りしましょう。

みなさん東北方面を向き、黙祷しましょう。





(写真は昨年4月、ボランティアで訪れた岩手県山田町の風景です。)
  


Posted by 松崎 正尚 at 12:19Comments(0)防災・防犯 

2011年07月15日

子供たちを犯罪から守る。

7月13日(水)
下地校区市民館。


「社会を明るくする運動」と称して豊橋市内の少年犯罪や、少年少女を巻き添えにした犯罪についての説明会がありました。

日頃の防犯活動・子供たちからのSOSへの対応など、約二時間にわたり50名以上の校区の方々が参加しました。

全国的に見ても愛知県の刑法犯総数が高いことから始まり、中でも豊橋市は[居空き][忍び込み]といった侵入罪、また[自動販売機荒らし]の割合が高いといった具体的なデータをいただきました。


市内で年間100件にも及ぶ少年少女への犯罪・犯罪未遂事案。
これらは氷山の一角にすぎません。

他にも覚醒剤依存の危険性・症状の説明や、幼児虐待の犯行を例にあげ、今後の地域の取り組みなどを議論しました。

子供を非行に走らせない、子供を狙う犯罪から守る。
この両面からみた問題は非常に大きな問題であり、たとえ解決できなくとも最小限に抑えるための「地域の目」が大きな力になると実感しました。




豊橋警察署より
「あいさつ運動」を実施しよう!
家族・友人・知人・知らない人を問わず、あいさつをしましょう。
「あいさつ」をすれば、コミュニケーションがはかれ、連帯感が生まれます。
泥棒はあいさつされると「ドキッ!」とするそうで、犯罪抑止にも効果があるのです。
  


Posted by 松崎 正尚 at 11:42Comments(0)防災・防犯 

2011年06月24日

被災地へ ~ 第二弾

4月28日から岩手県山田町に行ってきましたが、その第二弾として今先ほど、根本幸典事務所から総勢20名以上の援助隊が旅立ちました。

「豊橋みらい」杉浦正和氏を団長に、「豊流会」伊藤篤哉氏、堀田伸一氏、「日本一愛知の会」山本賢太郎氏ら市議のほか、大勢のスタッフ(もちろん今日初対面が多数)で、岩手県宮古市へ向かいます。

左の写真のお兄ちゃんは、なだぎ武志。ではなく、先ほどの山本賢太郎議員。

どうも僕の前でやたらとポーズを撮っていたのと、同期でもあるため、仕方なく最初に載せてしまいました。杉浦さんゴメンナサイ。

今回僕は行けないので、その分頑張ってきてね。


杉浦団長と堀田副団長の力強い挨拶、全員で「行くぞォ!」の掛け声。

左の写真は酒ではなく、気合い入れのチオビタ。


前回から2カ月が経ち、仮設住宅も増えてきているとのこと。
逆に一時の支援ブームに比べて、少し現地に向かう団体は減少しているようです。
再度、豊橋市民の愛情を注いできてください。
ただし雨と、暑さ対策はしっかりと。事故・ケガ・病気に気をつけて行って来てください。

現在午後9時20分。
東名に入って牧の原あたりかな・・・?

経験者は語る。明け方、福島県から宮城県に入るあたりがいちばん眠い。
東北自動車道はまだ荒れている箇所が多いので安全運転を。
あと時間が取れたら、陸前高田市の被害の大きさを是非見て、感じて欲しいです。

頑張って来てください。
  


Posted by 松崎 正尚 at 21:21Comments(0)防災・防犯 

2011年06月14日

東北震災ボランティア (3/3)

大沢ふるさとセンターで朝食の炊き出し。
ここで生活されているのは家を失った方たちばかり。
僕が胸を痛めたのは、広場の片隅に積み上げられた山田町のみなさんの思い出の数々を目にした時だった。
美しかった山田の街を背景にした集合写真。「みんなありがとう。これからも仲良くしてね。」とマジックで書かれた赤いランドセル。
これらの持ち主はみんな生きていてくれているのだろうか? 
 

夕方の炊き出しまでの間、山田町ボランティアセンターへ向かう。
途中、滋賀県警のパトカー発見。
下は漁船と共に屋根上に打ち上げられたポルシェ。
ボランティアセンターでは三重県から来た支援スタッフの代表者にお話を伺う。「三重県もリアス式海岸を持つ津波危険地帯。このボランティアを通じて、この街の復興とともに勉強していきたい。」と。


夕方からは山田南小学校での炊き出し。
ここは広い体育館、隣接する幼稚園、学校自体が比較的新しくグランドでは支援者らによるイベントが行われ、大勢の子供らが笑顔ではしゃいでいた。自衛隊設営による仮設風呂まで完備していた。
高台に位置しているためか、一見すると全く被災地に感じられない様子であった。
いつものようにシジミ汁・アサリのバター炒め・鶏のステーキ・野菜サラダ・ウズラの卵。
被災してから、これほどの御馳走は初めてだと言う声を多く聞いた。
しかし、基本的に配給するのは避難場所の方に限定されてしまい、近隣の、住宅はあるが支援が行き届いていない方々へ満足な提供ができず、申し訳なく思えてしまった。
そこで調理しきれなかったキャベツやインスタントラーメンを少しずつ分けてあげると「ありがとうございます。ありがとうございます。」と言って嬉しそうに帰って行かれたのがとても印象的でした。

  


Posted by 松崎 正尚 at 19:34Comments(0)防災・防犯 

2011年06月07日

東北震災ボランティア (番外)


楽天キャップ。

これは今回のために用意したのではなく、東北楽天ゴールデンイーグルスが設立された当時、フルキャストスタジアム宮城で購入したものです。
じゃあ楽天ファン?というより基本的には中日ファン、けど設立当時の楽天にはかつてのドラゴンズ戦士がわんさかいたのであります。
野手では関川・酒井・益田・山崎武司・中村武志、投手には小山・紀藤。確かピッチングコーチも鹿島だったかな?
何よりも監督が田尾安志!
ある意味中日を放出されたかつてのヒーローが、スタメンで活き活きとプレーしている姿に涙がこぼれそうでした。そしてこの年に始まったセ・パ交流戦。このメンバーの楽天が中日と対戦した時には、本当に目がしらを熱くし、両チームを応援しておりました。

それはさておき、実はこの帽子が被災地で大活躍したのであります。
楽天キャップをかぶり、中日Tシャツを身に付けたぼくに、野球好きな子供から大人まで、中でも調子のいいおじちゃんが声をかけてくれたのです。
「おい兄ちゃん、あんたイーグルス好きなのか?」
「ハイ!」
「ウソつけ、シャツは中日だぞ。」
「田尾監督の頃から。山崎は同じ歳で、高校の頃同じ愛知県で野球やってたんですよ。」
「おー、そうかあ、みんな昔は中日だったよなあ。」
なんて会話がはずみ、ほんわかとした空気が流れていました。

まだまだ現地は大変な状態が続いています。けど、ふとした共通点から急に親しみが湧いて、妙に優しくなれたりするんですよね。

炊き出しのみそ汁をすすりながら
「今年の日本シリーズ、楽天対中日がいいね、今年は中日の星野監督だからきっと優勝するぞ。」

おじちゃん。

ぼくも豊橋から祈ってるよ。
  


Posted by 松崎 正尚 at 22:29Comments(0)防災・防犯 

2011年05月28日

東北震災ボランティア (2/3)

~前回のつづき

豊橋をPM8:30に出発して20時間、ほとんど寝る間もなく、PM5:00から始まる出し会場へ向かう。
小学校やセンターなどの被災所ではなく、海岸線から少し離れ、やや高台にあるSさん宅前で最初の炊き出しを行うことになった。Sさん宅の1F部分には海水が入り込んだものの、ギリギリのところで流されずに済んだそうです。

その証拠にSさん宅の庭から海岸方向を撮影したのが、コレです。
Sさん宅より1㍍、2㍍低い所にあった建物はご覧の通りです。
 
どうですか?豊橋のみなさん。考え方、変わりませんか?
あと1㍍というところで命の有無がかかってきます。

現在、住宅を失った他の4家族の方々と共同生活をしていました。

食事の準備と並行して、持ち込んだ支援物資の配布をしたり、僕は野球をやっているSさんのお子さんと一緒に素振りの練習をしました。教えたスイング、ちゃんと守ってくれてるかな?

あさりのバター蒸し、シジミのみそ汁、手羽先、ウズラの卵、キャベツサラダ・漬物など、豊橋が誇る食材でのもてなしに、現地のみなさんはとても喜んで下さいました。
特にあさりは「こんなに大きくておいしいあさりは今までに食べたことがないです。」っておっしゃってました。

そしてこの日の宿泊地は山田町役場に隣接する松江寺というお寺を使わせていただくことに。
初日からかなり疲れを溜め込んだせいか、みなさんPM9:00過ぎには床に就くのでありました。
翌朝AM4:00起床。
この日の会場は朝:大沢ふるさとセンター、夕方:山田南小学校。
今日も元気にと思いきや、朝日に照らされ眼下に広がるのは、寺の直前まで津波に侵され、あまりにも痛々しい山田の街の現実だった。しかもこの街は激しい火災にも遭ったらしく、残っているコンクリート建築物や鉄骨の焦げ具合から、空襲にでもあったかのような凄まじさを感じたのであります。






駅は荒れ果て、銀行も、あらゆる商店もすべてが壊滅状態。

感傷にしたりながらもふるさとセンターへ向かう。
そこは街全体を見下ろす高台にあり、震災前はどれほど美しく素敵な街であったことか、一見して想像がつく。

きっとまたここに来よう。
5年後、10年後。
またこの丘に登り、その時少しずつ復興しているであろう山田町の姿を見て、ボランティアに参加できたことを懐かしく、嬉しく思い出したい。・・・そう思った3日目の朝でした。

                                つづく。







         


Posted by 松崎 正尚 at 15:37Comments(1)防災・防犯 

2011年05月19日

東北震災ボランティア (1/3)

ご無沙汰してしまいました。
4月28日、夜8時30分に豊橋出発。
ボランティア目的地は岩手県山田町。

当選証書をいただいてから2日後、選挙でお世話になった自民党の根本幸典氏と「栄校区オヤジの会」のみなさんを中心としたグループに、無理を言って仲間に入れていただきました。
ご一緒していただいた弥生病院の渡辺先生の記事が、東日新聞に連載されてますので、どうぞご覧下さい。

「なんでもやります。」と言ったものの
2ton トラックでの15時間に及ぶ長旅はキツかったあ。お尻が痛いのと、休憩しても横になれない。

写真は翌29日の朝8時頃、
仙台を過ぎて間もないパーキングエリア。ここまでほとんど寝ていません。?寝られませんでした。

おはよう!って言ってるつもりです。


ただこの数時間後に、冗談を言ってられない光景を目の当たりにするのです。
テレビ等の映像で想像はしてたが、そこに立つとこんなにも残酷なものか・・。と

今、自分が生きていること、家族・友人がそばにいること。・・・いちばん しあわせな事。


さっきまであった当たり前の暮らしが一瞬にして消えたそうです。
ある男性が「すぐそこに家があったんですよ。・・息子が流されちゃいました」と・・・

耐えられない!考えたくもない!   ですよね?

簡単に「頑張ってください」と言えないもどかしさ
「頑張ってください」としか言えない自分の無力さを噛みしめながら

チーム根本 最初の炊き出しの準備に取り掛かるのでありました。    つづく
  


Posted by 松崎 正尚 at 18:52Comments(0)防災・防犯